国労の歴史 - 2.戦後の労働運動と国鉄労働者

国鉄経営の逼迫と公企体への移行、大量解雇

1945年~1949年 戦後初期、占領下の労働運動
貨物優先の戦時輸送から、民需輸送への転換
GHQ=アメリカ占領軍の監督の下、占領軍の輸送政策が最優先
1946年 運輸省鉄道総局の設置
1948年 国鉄の営業係数138.9 赤字累計403億円
1949年 ドッジラインの強行=大量人員整理、公共企業体に移行し、独立採算制を導入
1950年 朝鮮戦争勃発 国鉄は軍事輸送を強制された

国鉄総連合の誕生と75000人の解雇撤回闘争の勝利のもと単一化へ

1945年 GHQ 民主化「五大改革政策」を提示
労組・政党の合法化
国鉄当局は鉄道委員会の組織化を画策するが頓挫
国鉄従業員組合準備会の結成
1946年 全国単一労働組合準備会の結成
2月25日 片山津で国鉄労働組合結成準備会を開催。連合体支持が多数意見となる
2月27日 国鉄労働組合総連合会を結成(国鉄総連合)。50万8656人96%を組織
8月 総同盟と産別会議のナショナルセンターが発足。国鉄総連合はいずれにも加盟せず、国鉄東京地方労組破産別会議に参加
7月 国鉄 75000人の人員整理案を提示。国鉄総連合はゼネストを決定 整理案を撤回させた
11月 国鉄総連合臨時大会で単一化方針を可決
11月 10月闘争で電算型賃金を獲得し、11月には全官公庁労組共同闘争委員会(全官公庁共闘)を結成
1947年 吉田首相の労働争議などを行う者は「ふていの輩」と発言
この発言を契機に、全官公庁共闘の闘争は経済要求に内閣打倒、民主的政府の樹立という政治的性格をもつに至った
2月1日を期し、ゼネスト決行を決定
GHQは1月22日にスト中止を勧告、その理由は経済要求を政治目的に結びつけることは占領目的に違反するとしていた
1月31日、マッカーサー施行司令官がスト中止を命令
3月 総同盟、産別会議、国鉄総連合など28組織、446万人(組織労働者の84%)が参加する全国労働組合連絡協議会(全労連)を結成。官公労働者の平均賃金600円は1600円に大幅引上げ国労、全逓などで有利な包括的団体協約を獲得
6月 国鉄総連合は解散し、単一の国鉄労働組合を結成。
11月 第2回臨時大会で方針をめぐり、中執が総辞職、大会は流会、退場した議員らを中心に組合からの共産党の排除を申し合わせ、国鉄反共連盟を結成。のちに国鉄民主化同盟(民同)に改称。一方で、民同派と共産党支持派との中間に立つ活動家が、48年4月に国鉄労働組合革新同志会(革同)を結成

アメリカの戦後世界戦略の変化 東西冷戦の時代に

1947年7月 官公労組の夏季闘争が本格化するとき、芦田内閣に対し、官公労部門の労働者の労働基本権を全面的に抑圧する法制度の整備を求めたマッカーサー書簡が出される
政府は政令201号を公布し、公務員の争議権、団交権の剥奪、団結権を制限し、従来の協約をすべて無効とした
1948年11月 国家公務員法の改定
1949年 6月 国鉄はマッカーサー書簡の指示にもとづき公共企業体に移行、公共企業体労働関係法(公労法)の適用をうけることとなった

占領下の三大謀略事件と国鉄の大量解雇、国労の混乱

1949年 1月の総選挙で吉田内閣与党の民主自由党が過半数
GHQが、経済九原則=ドッジ・プランの実施を要請
超均衡予算 1ドル=360円の単一為替レートの設定
超均衡予算の実現としての大量行政整理
5月に行政機関職員定員法(定員法)を公布
国鉄職員の定員を95000人少ない50万人とした
下山初代国鉄総裁は、7月に二度に分け93700人の解雇を通告
国労がストを含む実力行使を決めていたが、整理案の発表後に下山総裁が行方不明となり、二日後に常磐線線路上でバラバラ死体となって発見された。マスコミは共産党員あるいは国労組合員の暗殺と思わせるニュースを流した。
国 労の闘争力がそがれ、第一次人員整理(30700人)が実行され、国労が闘争宣言を発した7月15日の夜、無人電車が暴走し、6名の死者を出した三鷹事件 が発生。内閣官房長官は何の根拠も示さずに、下山事件と底流において思想を同じくする者の仕業だとの談話を発表。警察は三鷹電車区の組合員10人を検挙。
この下山・三鷹事件(でっち上げという見方は今では常識)により、行政整理反対闘争は出鼻をくじかれ、人員整理は強行された
8月には、東芝松川工場が解雇反対のストに入った日、東北本線松川・金谷間で列車転覆事故が発生、乗務員3名が死亡。政府・検察・警察は、共産党関係者が犯人とにおわせ、東芝と国労の組合員20名を逮捕。その後、無罪が確定。

指令0号と成田中央委員会

  行政整理で国労中央闘争委員17名(共産11・革同6)が解雇
公労法4条3項と関連し、被解雇者の組合員資格で中央闘争委員会が混乱、国労本部は事実上の分裂
民同派中央闘争委員が指令0号を発し、8月15日に成田で中央委員委員会の開催を指示、しかし、国労の組織分裂は回避

総評の結成と「左傾化」

1949年 10月 世界労連が分裂し、国際自由労連が結成 国労委員長も出席
総同盟、新産別、国労など民同派23組合で国会闘争共同委員会を設置
1950年 3月 総同盟と民同派組合を中心とする日本労働組合総評議会(総評)を結成。国労も参加、6月には加盟を決定。
7月 朝鮮戦争が勃発し、GHQは警察予備隊の創設を指令
労働運動で共産党を中心に弾圧、全労連への解散命令が出された
各産業でレッドパージ
6月 国労は第8回大会で全面講和、永世中立、戦争反対の講和三原則を決定
1951年 1月 社会党は大会で、講和三原則=全面講和、中立堅持、軍事基地反対の再軍備反対を決定。
3月 総評は講和三原則と再軍備反対をあわせた平和四原則を採択市、同時に国際自由労連への総評一括加盟を否決した
これに反対する勢力は1954年4月に総評を脱退し、全労会議(同盟の前身)を結成
1951年 5月 国労中央闘争委員会で平和四原則をめぐり、意見が二分。国労民同派は左右に分裂。
9月 サンフランシスコ講和条約と日米安全保障条約の締結
1952年 講和条約の賛否をめぐり、社会党が右派と左派に分裂
国鉄労働組合名古屋地方本部
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