国労の歴史 - 1.国鉄の形成と労働者の闘い

明治から第二次世界大戦まで

経済的機能と軍事的機能をあわせて、鉄道の制度と設備の構築

1872年(明治5年) 新橋~横浜間29キロ 日本最初の鉄道の開通
1885年 上野~青森間 民営鉄道として一部開通
1894・1895年 日清戦争
1904年 日露戦争
1906年 鉄道国有法により主要民営鉄道を買収
ばく大な利子負担と経済合理性を超える新線建設と運賃政策
1907年17私鉄を買収し、国有化が完了 企業キロ=7152キロ 職員9万人
当時、世界最大規模の鉄道
職員救済組合の発足(1918年に共済組合に改組)
1908年 内閣直属の鉄道院
後藤新平初代総裁 大家族主義
→職員管理と労働組合運動の浸透を警戒
1919年 営業キロ=9990キロ
1920年 鉄道省に昇格

政府・当局から弾圧への抵抗と労働者の組織化

1892年 新橋駅員が給料半減に抗議、ストライキを計画。数百人が解雇
1897年 片山潜らの指導をうけ、労働組合期成会が発足
1898年 2月25日から400人余でストライキ決行 解雇撤回、要求獲得
日鉄矯正会の結成につながり、最盛時1000名を組織
1899年 大宮工場で争議
1900年 労働組合期成会 42支部 5400人
鉄工組合に、新橋鉄道局、甲武鉄道(現在の中央線)、
日本鉄道(現在の東北本線および大宮工場)の約150人が参加
国鉄・鉄道労働者の最初の組織化
1900年 明治政府は労働者の組織的運動を弾圧
治安警察法 行政執行法を制定
1901年 11月に日鉄矯正会解散
1912年 大正デモクラシー運動の高揚下 友愛会を結成
1919年 大日本労働総同盟友愛会に名称変更 56000人
1921年 日本堂々総同盟に変更
1919年 単一の日本鉄道従業員組合結成の動きは、弾圧により失敗
1920年 大日本機関車乗務員会が組織され、急速に拡大 3000人に
1921年 当局の弾圧により組織は崩壊
1920年 国鉄現業委員会の設置 →労働者の不満への対応策
職員の選挙による現業委員の選出方式
労働者は国鉄現業委員会後援会を組織し対抗
1926年 後援会を全日本鉄道従業員組合と改称 2600人
1927年 7400人 役員73人を解雇 組織は崩壊
「無産階級の経済的利益を擁護するために組織された労働組合はつねにこの立場に立脚して活動を進展させなくてはならない(組織テーゼ)」
1922年 日本共産党の結成
1925年 治安維持法の公布
1927年 蒲田電車庫を中心に電車庫聯盟を結成
共産党弾圧の3・15事件で指導部を失い、崩壊
1930年 全協の方針の下、産業別労働組合の組織化をめざし活動
日本交通運輸労働組合東京支部国鉄分会として地下活動
1940年 国鉄共産党事件 9人が検挙される
1931年 国鉄現業委員会は官吏減俸案に集会や決議で激しく反対
1941年 戦時体制の強化の下で現業委員会は解散し、産業報国会体制の一環としての国鉄奉公会が発足
国鉄労働組合名古屋地方本部
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