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成瀬 昇 さんを偲ぶ会を開催
15日、名古屋市内の日本ガイシフォーラムで、昨年12月に2年余にわたる闘病生活をへて亡くなられた、成瀬昇さんを偲ぶ会が開かれました。この会は、成瀬さんが心魂をかたむけたずさわってきた革新懇、運動のなかで交わりをもった各界の方たち、成瀬さんにお世話になった方たちが呼びかけ、催されました。会場には370人が集まり、成瀬さんの業績と人柄を偲びました。
偲ぶ会には緒方靖夫日本共産党副委員長をはじめ、大黒作治全労連議長など各界を代表する方々が多数、参列しました。スピーチでは、成瀬さんとのエピソードなどが披露され、涙と笑いをさそいました。三重子夫人は、闘病生活をふりかえりながら、静かに息をひきとった最期を語りました。会場には感動がひろがり、しめやかな雰囲気につつまれるなかで故人との別れを惜しみながら、会は終わりました。
成瀬さんは、戦後に津島で地区労議長として60年安保など、歴史的な闘いの先頭に立ってきました。若くして津島市議会議員となり、愛知県地方労働組合評議会議会(愛労評)役員となり、事務局長・議長を歴任しました。1973年には、社会党と共産党の共闘のもとに本山革新市政誕生の立役者として活躍しました。
国鉄の分割・民営化後、JRが発足し、国労組合員が配転や出向などで差別され、弾圧されるもとで、成瀬さんは愛知県地方労働委員会(地労委)の労働者側委員(当時)として力をつくし、JR東海の犯した不当労働行為を暴き出し、地労委の救済命令をかちとるうえで、決定的な役割を果たされました。
豊かな経験と知識、そして何よりも庶民と労働者の立場に立ち、不正を許さない信念を貫いた方でした。私たちには、国鉄闘争、国労の闘いの支援、共闘組織のまとめ役として、多大なる力添えをいただいてきました。ここにあらためてご冥福をお祈りいたします。